働き方の記事と安藤さんのことから、考えた「自分バイアス」について。

おはようございます。ちゃばしらです。
7月になってしまいましたね。今日は七夕です。今日も雨かな・・・。

今日は、自分も含めてみんなバイアス、持ってるよね。
という話。

バイアス(bias)とは?wikiで調べたところではこのこと。↓↓

思い込みや思想などから意見等が偏っていることにも用いる。この場合は「彼の意見はバイアスだ」より、「彼の意見にはバイアスがかかっている」と使われることが多い。Wikipediaから引用。

人それぞれ、バックボーンや生きてきた環境が違うし、今いる環境も違う。
だから、もう、どうやっても偏りたくない!!と思ったって
どうしても偏っちゃうわけです。
もちろん、意識的に中立的にあろうとすることで中和されることって多いと思いますが。

私が実感を持ったのはこの記事。
あまりにも有名なちきりんさんの記事ですが、この記事の冒頭に出てくる円グラフ。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/?of=2

ちきりんさんは、この次の日の記事で種明かししているけれど、
「仕事が好き、楽しい」ということが重要と考えてこの記事を書かれています。
私は、この記事を一読しても意味がわからなくて、2,3度読み返しました。

というのも、グラフをみた瞬間に「不満な人が多い」という事実に着目し、
「仕事に不満はつきもの」という意識を持って記事を読んだため。
そのために、「仕事は好き、楽しい」という考え方で書かれている記事を理解するのに時間がかかりました。

これって、私が「常々仕事に対しては不満はつきものだし、それは課題。」という風に考えているから
素直に記事が頭に入ってこなかったんだと思います。

そして、ああ、これって私のバイアスだなと気付いたというわけ。


最近、フィギュアスケーターの安藤選手が出産されたことについても
あちらこちらで話題になっています。

その取り上げ方にも様々な見方があり、どの記事を読んでも新鮮です。

私が良く読む媒体では、性差別について意識的な人が書くものが多いので、
安藤さんに対して強く擁護の立場をとられている方が多い。
一方、テレビのワイドショーでは、「未婚の母なんて…」という批判的な目線や
「果たして父親は誰か!?」なんて好奇心を隠さないもの。

これらもまた、どちらにもバイアスがかかってる気がします。

私は、彼女の主体的な選択を尊重してよい、と考えてはいる。
それは、自分がこれまで経験したことや感じたことをベースに判断している。
アサーティブを学んだことも影響している。

だから、色んな考えの人がいて当然だし、それでいいと思う。
というか、それしかないんだと思う。

たとえば、あなたが自分なりに考えて会議で発言したとして、
「その意見は一般的じゃないだろ」とか「それは違う」という反対意見があって、
「発言することに意義があるよね」という意見もある。
また、「思っていたことを言葉にしたら、そんな風だったかも。言ってくれて嬉しい」という感想もある。

考え方は人それぞれだから。
例え、自分の考えと違う意見だとしても、それは絶対にNG、ということはなくて
その人なりの経験や思いが積み重なった一部であって、そういう考え方もあるよね
というところから始めるほうがいい様に思う。


なので、自分自身のものの見方にもバイアスがかかっている、ということを意識していないと
不用意に、違う考えの人を否定してしまうことになる。

同じ考え方の人が何人かいるからとか、自分は本を読んで知識があるから、とか
そういったことで、自分のほうが正しいなんて勘違いしないようにしなきゃ。


常に「自分バイアス」がかかっている、ということを忘れずにいたいと思いました、とさ。


くもり続きですね。洗濯物が乾かないから晴れてほしいな〜。

ではでは。